ハンガリーで天才ピアノ少年として名を馳せていたリストは、
わずか9歳ばかりにして、貴族たちから6年間の奨学金の申し出を受けるほどでした。
宮廷音楽団で合唱を歌ったり、チェロを弾くなど音楽好きだった父アダムは、わが子リストの才能を伸ばすことに心血を注ぎました。
ですから、奨学金を受けるとすぐに、地元ライディングを引き払い、 音楽の都ウィーンへと、一家をあげて向かったのでした。
そこでリストは、ベートーヴェンの弟子で有能なピアノ教師である、カール・ツェルニーにつき、本格的にピアノ奏法を学んだのでした。
我流だった演奏もめざましく上達し、教えるツェルニーを大変よろこばせました。
「こんなに才能があって、よく勉強する弟子は初めて」と感激と共に書かれたものが残っています